横浜の歴史と文化
1853年7月、アメリカのペリー提督が4隻の船を率いて浦賀に来航し、日本の鎖国政策を変えさせ、港を開くように強く要求しました。それまでの日本は、オランダなどのごく一部の国のほかは、長い間外国との交流をしてきませんでしたが、次の年の1854年3月(安政元年3月)、幕府は「日米和親条約を結び、その後、1858年7月(安政5年6月)、「日米修好通商条約」をはじめ、オランダ、ロシア、イギリス、フランスと条約を結んで、これらの国々との交流を始めました。
横浜が開港するきっかけとなったのは日米修好通商条約でしたが、実は開港地は神奈川の予定でした。しかし、東海道沿いに位置する神奈川を開港すると、外国人との間にトラブルの発生する恐れがあった為、横浜に変更され、そして1859年(安政6年)、開港に至ったという歴史があります。
横浜は、港の施設がほとんどない小さな漁村だったので、開港すると、現在の大さん橋の付け根の付近に2か所の波止場が作られ、船は波止場にじかにつけることができないので、沖に停泊し、「はしけ」や「汽艇」とよばれる小さな船が陸との間を往復して、荷物や人を運びました。
現在の横浜は日本でも有数の貿易港に成長しています。